気付いたら自我を失っていた話
おばんです、ダンボー田中です。
仕事に追われ、エンジニア以外の自分になりたい気持ちと板挟みになり、徐々に疲れていった結果うつになり、自我を失っていることに気付きました。
これは自我を失った経緯や、そもそも自我ってなに?確立するにはどうしたらいいの?みたいな話が頭の中でまとまりつつあるので整理する記事。
書くこと
- 発端: 友人「お前は自我が無ぇな」
- 問題: 自己肯定感の無さ
- 経緯: これまでの自分の価値を見失った
- 糸口: 自我についてまとめた記事を見つけた
- これから
発端: 友人「お前は自我が無ぇな」
先日友人と旅行に行った際に「ダンボーには自我が無い」という話題になりました。 そういえば最近、友人に「お前は自分が無ぇな」とか「お前はどうしたい」みたいなことを言われることが増えた気がしていました。
あれ、そういえば自我ってなんだろうと思った僕は友人に尋ねたところ、 「自分がどんな人間なのかじゃね。なにが好きか、なにが嫌いか、 それがどうしてなのか明文化していった先に自分が出来上がる」という返答をもらいました。
あ〜〜〜〜〜、そういうのわかんないなぁ〜〜〜〜〜。
食べ物とかだいたい食べられるし、そんなに嫌いなものないし。 人と喧嘩するようなこともなく、どちらかというと日和見主義だし。 他の人が「こうしたい」があればそれに乗っかりがち。
自分がどういう人間で、どうしたいのかはわからなくて曖昧かもしれない。
問題: 自己肯定感の無さ
自我がはっきりしていないと起こる問題に自己肯定感の無さがあると思っています。 自己肯定感が無くて不便に感じるのが、たびたび自分を襲う虚無感であったり、 目標を達成する力が失われることだったりします。
最近の自分の悪癖として、なにか物事がうまくいかなかったときにまず初めに疑うのが自分になっています。 「自分の能力が低かったから」「持って生まれたものでなかったから」とか。
好きな言葉は東京グール、ヤモリのアニキの「この世の不利益はすべて当人の能力不足」です。よろしくお願いします。
自分の能力がいかほどなのか、持って生まれたものがなんなのか、 なにも明らかでない部分に原因を置いてしまいがちです。
仕事においてはプロセスや前後を明らかにすることで起こることは改善していけると考えているエンジニアですが、 個人的な部分ではこれが適用できていません。たぶん感情も混じってるから。
明らかになっていない部分を原因にしてしまうのはナンセンスですよね。今文章を書きながら自覚しています。 なぜそんな帰結をしてしまっているかといえば、これまでの自分の価値を見失ってしまったからなのですが、 これについては後述します。
「自分はこういう人間」という部分がはっきりしていないと、とりあえず生きづらいのかも。 そこがわかると「まー、今回の件はしゃーなしですね」とか流せるようになるのかも。 たびたび襲われる虚無感はなくしたいし、目標は達成したい。
経緯: これまでの自分の価値を見失った
僕はこれまでソフトウェアエンジニアとして、高校・大学・社会人を過ごしてきました。 もう9年くらいこのことばかり考えて生活してきました。 経験を積み重ねて各地で登壇をしたり技術書を書くほどになり、 キャリアとしては順風満帆だったように思っていました。
ふとしたときに趣味ができて、エンジニア以外で創作活動も行うようになりました。 エンジニアの延長として始めるマネージャーやデザイナーへの転向みたいなものでなく、 写真やイラストなど全く新しい領域で、これまでの経験がアテにならないようなものです。
そんな活動を通して新しい人々との付き合いも増えて、今の自分から果てしなく遠い存在を理想とするようになりました。 自分は熱中すると他が見えなくなる性質を持つので、その領域でこれまでのスキルが評価されないとなると、 これまでのエンジニアとしての自分に価値を感じなくなっていきました。
時を同じくして、自分が関わる人からエンジニアとして尊重されていないと感じる出来事が起こりました。 結果を出していて、うまく回っていたはずが、突然そうではないと否定されてしまい、今までやっていたコードを書くこと、 技術を勉強することの価値がわからなくなりました。
これまでの価値観の足場がどんどんと崩れていき、寄りかかるものがなくなり、自我を失うポイントになったように思います。 すべての歯車がズレ、心の隙間にうつが入り込みます。
躁鬱の呼吸、壱の型。「なんか自分要らなくない?」
糸口: 自我についてまとめた記事を見つけた
そんなこんなで自我について悩んでいると、また別の友人からこんな記事が送られてきました。
自我とはなにかとか、その形成はどのように行われていくのかが書かれています。 ものごとに名前がついたり、ステップが説明されるとわかりやすいですね。
記事を読んでわかったことをかいつまむとこんな感じでした。
- 今の自分には「これぞ自分だ」という感覚、自我同一性が無い
- 自己斉一性・連続性、対自的同一生、対他的同一生、心理社会的同一性、どれも自信がなかった
- 自分がどういう人間なのか曖昧にしていた部分を観察して、明文化していくのがいいのかも
- それを他人から見たときと、社会から見たときで比べていくのがいいのかも
- 今の自分は自我の危機に晒されている状態である
- これまでを支えてきた生き方が自分にはあるけど、それを見失っている状態
- これを乗り越えた先に真の自我の確立があるっぽい
「エンジニアやっててうまくいってるからガリガリやってこ〜」という足場が崩れたので、 「エンジニアの部分を抜いた自分」みたいなのを盛ったり見つけたりしていく必要がありそう。
待って。同じように仕事して日々を過ごしていると思っていた同世代のみんなはこんなこと並行して考えてたの??? みんな自我持ち?僕が仕事しか見えてなかっただけ〜!?わからん。
これから
- 心身を立て直す
- 今の自分を整理する(事前調査)
- 新しくなりたい自分を見つける(要件定義)
- そのために必要なものごとを整理する(仕様定義)
とかしていこうかなという気持ち。要件定義されてないものは形にならないですよね。
そういえばコロナが流行る前、エンジニアのイベントやコミュニティによく顔を出していた時は人と話すことで いろんなことを自分の中で整理つけていた気がする。
新しいことをしていくときもインプットとアウトプットを増やすために人と話をすることが必要なのかも。 圧倒的に人と話をする機会が減ったし、自分がどんな人間なのかとか、自分の良いところは人と接する中で見つけていった気がする。
技術でもなんでもいい。映画でもなんでもいいから、作品を見たり、生き物や植物を見て、人と話をしていくぞ!!! よっしゃ、整理ついた。
P.S.
- 急に新しいことをはじめて大きな目標を立てるのはつらい。それはそう。
- こういうことを考えたりまとめたり出来るようになってるのも、心が回復していってる感じかなと思って良い
- なにか行動しながらだと、自分のことを整理したり出来ないという話も聞くので、無職期間を作れてよかった
- 友達と話すことはたいせつ。こういうことを考えてみるきっかけや、自分の課題を課題として指摘してもらえるので認識できる
- たぶんうまくやる人は徐々に活動の軸をずらすみたいなことをしていくと思うんだけど、自分は興味が一方向に向いてしまうと他のところをおろそかにしがちなので、下手くそなんだと思う。
- 疲れてずっと思考の整理と覚悟がつかなくて書けていなかったこととかもまとめられてよかった。こういう話を外に出したかったけど、余裕がなくてずっと吐き出せなかった...